まだ電気、水道、ガスも復旧しておらず、配給は一日おにぎり二個。
あとはベイサイドアリーナから調達する僅かな食べ物。
物資も足りなく、困り果ててる。
今回、依頼をしてくれたTさん。
地震が起きた時に、海沿いにある会社にいたとのこと。
町の緊急放送で『大津波警報!』が出され、すぐ会社の車を高台に運び、それから自分の車を高台に運んだ。
その時、町はパニック状態で、信号は止まっているため、人をはねて逃げる人までいたとか。
第一波の津波が来たのが、3時15分。
Tさんが家族と会ったのが3時14分。
その時、長女の8歳は行方がわからない状態。
とにかく、ひたすら高台に走ったと。
その後、娘さんの安否が確認出来たとの事。
そして、最後まで大津波警報を出していた女性職員さんは流されいまだに行方がわからないみたいです。
『あの女性職員さんも逃げたかったろうに…』と旦那さんは言っていました。
目の前で何人の人たちが流されていき、その映像がまだ目に焼き付いている。
今は町でアンケートを取り、集団避難するか、ここに残るか、の二択で、今いる方達は残るという方を選択した方々。
ここ、志津川は今月中に電気は復旧の見込みがあるが!今月は始まったばかり。(; ̄O ̄)
あくまでも見込みで、区長さんはもしかすると二・三ヶ月はかかるかもしれないと言っている。
Tさん家族は、家を流された方々に自分たちの下着や衣類をあげたとのこと。
すぐ支援物資が来るかと思ったが、石巻市などで止まってしまい、こちらの地区までは中々来ないのが現状で、灯油は数日に一回限定10人に自衛隊から配っているらしい。
ちなみに旦那さんに俺のおNEWのパンツを渡したました。
Tさん家族に一昨日の早朝、温かい味噌汁を食べて頂いた。
子供達の顔にも笑顔が蘇り、両親は涙を浮かべ、ありがとうございますと。
皆さんから頂いた物資がこちらの方々の緊張した心を少しずつ溶かしてくれてます。
旦那さんはガソリンもないし、会社もないからお金のメドもたたないから買いにも行けないよねと言っていた。
物資なども数日に一回の配給とベイサイドアリーナから持ってくる僅かなものらしく、そこでも争いがおき、議員さん達が党員優先で配ってる!とか、なんであの人だけとか、そんな争いまで起きている。
今、手を取り、前を向いて進まなくてはならないのに。
だからある程度になるまでみんなで支援をし、復興に力を注ぐ方に力を使って頂きたい。
足りない物、欲しい物現地の声。
・乾麺
・レトルト食品
・男女共に下着類
・2歳から上の子達の下着や着替え。
・お茶漬けの素
・サランラップ
トイレもこの地域に仮設トイレを設置し、水も流れないし、溢れているので衛生的にもキツイ現状。
昨日は500食ぐらいの炊き出しをし、夜も。そして今朝はミートソーススパゲティー、そしてこれからの昼食はカレーライスです。
昨日は更に奥地へ捜索と現状の把握をしてきました。
南三陸町志津川から泊浜まで数十キロずーっと壊滅状態です。
道は寸断され、物資がこないので緊急でヘリからと海軍と米軍から海から届けてもらったと言っていた。
地元の消防団の若い人たちが町の治安を守り、町に抜ける道が二カ所しかない為、怪しい奴はそこの二カ所でとっちめると言っていた。
地元の若い消防団の方々の団結力に感動しました。
今は志津川の旭ヶ丘団地にいます。
ここの近くの大雄寺というお寺の近くに田尻畑避難所がある。
30人から50人の方々が釜で自炊をしている。
そこのお母さんの話しがまた涙なくしては聞けなかった。
お母さんは泣きながら、津波が本当に怖かった。
だけど二歳の孫はもっと怖くて怯えていたんだと。
父ちゃんは村の皆に丘の上に避難するように
「もっと上に登れ!」
「もっと上に登れ!」
って大声で叫んでたんだ。
その時の津波の状況がよっぽど怖かったのか、二歳時の孫は「わーんわーん」って夜泣きしながら、「もっと上に登れ!」「もっと上に登れ!」って泣くんだよ。って。
その泣き声が可哀想で可哀想でね。
私はいいけど二歳の孫がね。
その日以来、寝ぼけてない日でも、二歳の孫は「もっと上に登れ!」が口癖になり、毎日連呼してる。
これが現状です。
俺の息子も二歳。
何が出来るかわからない。
やれる事をやる。
今日一度栃木に戻ります。
その前に、加藤さんから連絡が入り、今から太陽光発電のパネルを持ってきてくれる方がいて、この地区に5カ所ほど設置してくれるかもしれない。
そうすれば、ガソリンを使う発電機を使わず、夜は明かりが灯り、携帯なども充電できる。
よし!がんばろう!東北!
ヘリ
義理の兄の雅人
頭と顔が油谷さんもビックリ!油ギッシュです。
これからエネルギーのことも考えていかないとね。
エネルギーをシフトチェンジしていく方向に。
生ゴミとか、汚泥から出るガスや、太陽光発電、風力などや、石油の代わりになるものなどの発明など。
こうやって、人類は自然と戦ってきて共存共栄し、調和してきたのでしょう。
これからの僕たちもできるはず。
国民、県民、市民、仲間みんなで考えて行きましょう!
頑張ろう!東日本!
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