2006.1.28.日本の車窓から

c5b7656d.jpg振り子。
重りの玉を片方に振った分だけ返ってくる。小さく振れば振った分だけ。大きく振ったら振った分だけ。
みんなも知ってるように、俺は大勢でガヤガヤドンチャン騒ぎしながら何かする事が大好きである。
野球、フットサル、音楽、酒、etc…
大勢で遊ぶことの楽しさを知っている。環境騒音など微塵も入る隙間がないほど、楽しいことに集中できる。
仲間の声、行き慣れた店のマスターの声、野郎どもの仲間想いの罵声、心の隙間を刺す的確な暖かい言葉、怒鳴り声の先にある仲間達のかけがいのない笑顔。

そんな有り難い空間にいながら、ふと一人旅。
押し寄せる自分との会話。歩き始めると胸を締め付けるような思い出の京都の裏路地、半年毎日歩いた情緒溢れる砂利道、関西弁のミスド、ジャンケンパフェ、親里と呼ばれる聖地。
ゆっくり歩く俺に冷たく無機質な壁が話かけ、何故か当時の想いを甦らせ、今の自分を悟らせてくれる。
ノスタルジックに自分を俯瞰から観てみても、忘れかけている想いも、今の想いも的確に観えてきて、漠然とだが未来への矢印となる。
俺はたまに自分との会話をするために、一人で旅に出る。近場では那須、日光、今市。遠い所で、高松、奈良、京都、大阪、知多半島など。
そこで得たものを決して利己主義にはならず、仕事、音楽、日々の生活、そして仲間に、家族に、さり気なく活かせれば幸いと思う。

話は変わるが、昨日は母の55回目の誕生日。今回は病院のベットの上で迎える事に。55歳の痩せ細った母は、低く汚く冷たい病室の天井を見ながら何を想い、何を感じているだろう。
ゆっくりでいい、善くなって来年は孫6人+αで囲んで祝ってあげたい。

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