3.11

ちょうど一年前。

忘れることが出来ない。

東北地方太平洋沖地震・・・

ここ栃木県下野市でも、
立っていられないほどの揺れで、
隣の家の佐藤さんのおばちゃんとその孫と隣の公園へ避難した。

ちょうど着替えに自宅に戻り、
腹痛で便所で力んでいる時に・・・
揺れを感じ、どんな状態だったかわかりませんが、
必死に外に出たのは覚えています。

天変地異か!と言いたくなるぐらい地面は横に揺れ、
隣の野球場のナイターは、折れるんじゃないか!ってぐらいしなり、
子供たちの悲鳴と、自分の足の震えを今でも覚えています。

家族は大丈夫だろうか?
社員アルバイトのみんなは?
その家族は?

震源は?

仙台の青木さん、ぽんちょのお父さん、相馬市のY君、仙台のI君、みんな大丈夫か?

店であるだけの食料は、出し、茨城の石井さんの所へ食料を運んだりしました。

あの日を境に、日本が大きく変わっていきました。

それは見た目的な目に見えるものも変わったが、価値観も大きく変わっていったと思う。

大切なものは何か!という事を再確認できたのではないでしょうか?

支援に行くのも躊躇いました。

妊婦でつわり地獄のかみさんを置いて何日も行く事はどうかなぁ~と思ったが、「どうせ行くんだから、もっと困ってる人たちのために早く行ってきな~」と軽く背中を押してくれた奥さんには感謝です。

3/20に石巻、大船渡、陸前高田など全国から集まった支援物資を届けさせて頂き、数多くの現実を見て感じてきました。

正直、行くことは躊躇しましたが、行って初めてわかることも多々あり、現実今でも南三陸町の皆様と繋がりが持て、出来る等身大の支援をさせていただいてる。

よしきさんやゆみちゃん、ひでなど泊浜n皆さんとの新しい人の繋がりもでき、僕の人生を太くしてくれています。

まだ行方不明の方々が3155人。

江頭2:50さんの行動にも感動したなぁ~。

2:46

祈ろう。

そしてもう一度再確認しよう。

大事なものは何か。

今の日本の未来は暗いニュースばかりだが、この時代を乗り越えたのなら、世界を引っ張っていく国になるでしょう。

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