丁度3年前の・・・

2002年4月5日の朝方、私の兄貴分である大垣雅仁氏(享年34歳)が亡くなった。
今日は命日って事で、沢山の人がお墓、家に来ていました。
地元の先輩夫婦と清めって事で、一杯ひっかけに行って参りました。
みんな毎月お墓に行って、色々お願いしてるらしい(笑)亡くなっても、頼りにされてるなぁ~と実感。
私なんかも、人に言えないこと・心境報告・国分寺町の現状などを毎月お墓の前で、吸えないタバコ(フィリップモリス1mg)をふかしながら、色々一方的に話してる。
こんな事を言うのもなんだが、「なんで死んじゃったの??」「もっと教えて欲しいことが」などなど・・・
まぁよく説教されたな~~っと思う。唯一俺に説教した人。亡くなる3日前も、えらい剣幕で説教されたのが未だに忘れられません。3時間ぐらい・・・(爆)で、その後、吉幾三など演歌を延々と聞かされたのだ。まさに地獄(笑)

ご両親の心中は、未だ晴れることはない。なんせ一人っ子なんだから(誤解がないように。兄弟がいても晴れることはないだろうが・・・)

私は、亡くなった4日後ぐらいに残した日記にこう書いた。

【~例えば、枯れた枝を折る!すると「パキ」と簡単に折れる。まだイキイキしている枝を折ると簡単には折れず、「何だよ」ってな感じでネチョ~とムケ折れる!それくらい若い人の「死」は何か後味が悪い。ましてやこれが身近な人だったら・・・みんなも後悔ない人生歩んで行こうかい!(by山田マン)俺からの頼みでこの日記を見終わったら、眼を閉じて少しでいいので、合掌し、冥福を祈ってもらえないでしょうか?僕の兄貴分の故 大垣 雅仁氏に・・・宜しくお願い致します。それではみんなも毎日一生懸命生きましょう。残された人は大事に生きていかなくては・・・兄貴!俺はやるぜ!!~】

先輩達と眼を瞑れば、まるで昨日のような出来事だな~と話した。
もうすぐ、大垣さんの年齢になる俺たち。果たして兄貴越えは出来るだろうか。
一生越えられないままだろうなぁ~っと焼酎緑茶割りをすすりながら、先輩がボソっとつぶやく。
酔いも涙に拍車をかけ、深夜に涙止まらず。
またもお願いになるが、故 大垣 雅仁さん、みんなを、あなたが大好きな国分寺町を、どうか良い方向に導いて下さい。
っと、たまには真面目な日記(照)
皆様、お体・お命、大切に。私をこれ以上悲しませないでね(切実)

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