青天の霹靂(せいてんのへきれき)

俺は毎朝・晩、祖母に
「おはよう!今日は調子どうだい?」
「じゃぁまた明日ね!」
っと必ず何かの呪文のように言っていた。
日に日に年老いていく祖母。
俺が家を出てから、体も一回り小さく見える。
とある早朝に母親から一本の電話。
「おばちゃんが・・・おかしくなっちゃった・・・」
時間を見るとまだ6時。
冗談ではない雰囲気。
俺は、つわりで酷く疲れていて寝不足な妻を眠気眼で跨ぎ、足早に実家に向かった。
俺の実家の玄関は今時無いであろう古いタイプの両引き戸。
いつもより足早に玄関に向かい、走りながら茶の間を覗くと、いつもの朝と同じ光景。
母親が兄と俺のお茶を煎れていてくれて、祖母が笑顔で満面の笑みで迎え入れてくれるといういつもと変わらない朝。
・・・
しかし、近づくと明らかに目の焦点が合っていない。
目に力がない。
僕はいつものように
「おばちゃん!おはよう!今日は調子どうだい?」
・・・
聞こえていないのか?
いや、そういう次元ではなく、もうどこか遠くにイっているような感じ。
やっと口を開いたと思ったら
「と~ろ~もんがきて、おかしくなっちゃった」
???


その後も支離滅裂な言葉を繰り返す。
そして、家族の事もわからなくなってしまったのだ。
そのほんの13時間前まで大きな声で会話を交わし、
「おばちゃん!じゃぁまた明日ね!」
っと熱く握手してバイバイしたのに・・・
・・・
まぁ家族の献身な介護、お医者さん、神様のお陰で先日家に帰ってきました。
しかし、一人には出来ず、誰かが付き添っている状態。
今では、俺のこともわかるようになり妻のこともわかるようになるまでになりましたが、まだ不安定な状態。
こうやって言うのも変ですが、再来月の3月で祖母も85歳を迎える。
いつお別れしてもいいようにあの呪文のように毎朝晩と繰り返し言っていたのかも・・・
が、いざそういう局面になってみると、なんにも恩返し出来ていないと、強く感じ、これからの余生、
「あ~いい家族に囲まれて逝けてよかった」っと想ってもらいたい。
俺がこの祖母にどれだけ世話になったか!
両親が共働きで夜遅くまで帰ってこなかったので、祖父祖母に育てられた俺。
よくお尻を拭いてもらった記憶がある。
祖母のイビキがうるさく寝られない日々が何だか懐かしい。
その祖母が抱っこしたら軽かったのには驚いた。
大正~昭和~平成~と激動の人生を苦労とともに歩んできた祖母。
笑顔が絶えない家庭で余生を過ごしてほしい。
おばちゃん長生きしてね。
おば

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